オタクに卒業もなにもないでしょって言いたい。

私は大学一年生になった。

毎日ボカロ曲しか聴かずインスタやTikTokをインストールせず自撮りもほとんどせずアニメを片っ端から録画して友人とBLについて話し盛り上がった中学時代。

楽しかった。間違いなく。

でも高校生になって私はやっぱり少しずつ変わった。

日焼け止めを塗るようになった。前髪を気にするようになった。眉毛を整えた。メイクをするようになった。校則を破るようになった。インスタもTikTokもインストールした。何かあるたびに写真を撮った。アニメを録画しなくなった。ドラマを録画するようになった。俳優の名前がわかるようになった。BLの話を学校でするのはおかしいと思い始めた。流行りものをかわいいと思うようになった。推しが俳優になった。ボカロを聴かなくなった。代わりにバンドを聴くようになった。

些細かもしれないこの変化は私を大きく変えた。ように思う。

最近のボカロはTikTokでしか聴かなくなったし、大学生になった今、友達にオタクはひとりもいない。

寂しい、とは少し違う。

たしかにあの中学時代は楽しかったが、今も…いやもしかすると今の方が、楽しい。

この変化は進化だと、胸を張って言える。

自分のことを好きになり、自信が生まれたからだ。

だけど、私の「オタク気分」は抜けていない。

BLだって読むし、未だにテレビで「声優」「アニメ」「マンガ」と聞くと私のフィールド内にあるように気になってしまう。

実際には今の私が好きと言えるマンガなんて銀魂約束のネバーランドくらいだっていうのに。

 


あの頃、私は「オタクを卒業する」ということが全くわからなかった。

好きなものは一生好きだし、私の「好き」は上書き保存ではなく別名保存だからだ。

Twitterを見れば沢山の成人オタクが揃っているし、「オタクを卒業」なんてちゃんちゃらおかしい言い方だと本気でそう思っていた。

でも今はそれが自分にも当てはまってるのかも知れない、と思う。

「好き」が別名保存だとしても、「好き」には順位がある。当然順位が高いものほど頭の中を占めていく。好きなものが増えれば増えるほど、少しずつ日常から外れていく「好き」が現れる。そんな当たり前のことがわかっていなかった。

ぱっと頭に浮かんだ「好き」を5つほどあげるとすれば、それは「バンド」「ディズニー」「メイク」「ファッション」「漫画」になる。多分。

ギリギリ保ってる「オタク趣味」なんて漫画くらいのものである。いつからだろうか。分からない。

ただ、嫌いになったりどうでもよくなったわけではないのだ。

優先的な好きが増えて、それに伴って考え方も変わったというそれだけなのだ。

中学時代はなけなしのお小遣いを握りしめてアニメイトに走りグッズを買えるだけ買ったが高校一年生になって少しした頃、グッズにお金をかける意味がわからなくなった。

自分の見た目を気にしだし、グッズを使う場所もお金もなくなったからである。

それが初めの好きの形の変化であった。

そういえばあれから私はグッズを一度も買っていない。

その代わりに、コスメや服や好きなバンドのCDにお金をかけた。友達と遊ぶ資金にもなった。

これは、オタクの卒業なんだろうか。

わからない。ずっとわからないままだ。

 


先程も言ったようにどうでもよくなったわけではなく、今でも思い出したようにカゲプロやあの頃好きだったボーカロイド曲を聴く。μ'sが再び活躍するなら私はどんな手を使ってでも見るだろう。

でもそれって、今まさにオタクだと言えるんだろうか。昔の思い出に浸っているだけではないか。大人が給食をわざわざ小学校まで食べに行くようなものなのではないか。

 


そもそも私はオタクでありたいと思っているのか。

 


グッズを付けなくなったと言った。

理由は、お洒落をしたいからである。嘘ではない。嘘ではないが。

数ある理由の中で綺麗な理由を選んだ と 、思う。あぁ

 


いつからか私は自分の趣味を全開にグッズをつけるのを馬鹿にしてたのかもしれない。

ダサい、と。恥ずかしい、と。

 


それでいて、中立を願った。

 


「私もオタク結構オタクやった〜!」「んー中学の時はボカロとか聴いてたけどけど今全然やわ〜」「いやほんま、みんなお洒落で着いてくの大変やんな!笑」「あ、そのコスメ買おうか迷ってた」

 


どれもこれも嘘ではない。

だけど反吐が出る。

結局私はオタクのままでいるのが嫌でお洒落をして包み隠したらそれの方が好きになってしまったからそっちに移行したいけど「オタク気分」が抜けないからどちらにもいい顔をしたい八方美人だったという話である。

あーあ。だめだなあ。いやだなあ。

 


自分にそんなつもりなかったところがいちばん気持ち悪い。